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カーテンコール
 今日久しぶりにRENTを聞いた。



 RENTはブロードウェイキャストもコリアンキャストも見たけれど、私の中でのRENTはやはりICUでやったあのRENT、照明クルーとして小屋に入ってからの全てを見守り続けたあのRENTがRENTなのだ。Act2のエンディング、"No Day But Today"を聞いていたらどうにも熱いものが胸を締め付けた。

 カーテンコールのあの笑顔。無事にステージを終えた安心感と、一緒に舞台を作った仲間への絶対の信頼感と愛情、そして舞台のはかなさを惜しむ寂しさ。大学で芝居をやり続けた4年間、何度も何度も見せて、そして見てきた笑顔を今も忘れることが出来ていないのだ。

 自分が一番よく覚えているのは、Jesus Christ Superstarのカーテンコール。
あの時私は、無実のJesusを助けたいという思いと民衆の暴力的なパワーの間のジレンマに悩まされ、結局Jesusに死刑宣告を下すPilateというローマ総督の役をやっていた。このプロダクションには丸半年どっぷり関わり、役作りのため図書館が閉まるまでキリスト教の資料を読み漁り、2回の合宿も経験し、役のための体作りをし、何度も演出やスタッフとぶつかり合い、うんざりするほど泣き、何度も辞めようと思い詰め、そして舞台に上った。

 実はJesus...は当時サークルにとっても非常に重要な公演だった。私が入るまで勢いの衰退していたサークルは、前年のInto the Woodsという公演で何とか学校のステージに返り咲いた、そんな状態だった。WoodsからJesusへ、プロダクションのシステムを確立し、人材を育て、今後定期的な公演活動の軌道に乗せられるかの試金石でもあった。苦しかったのは、そんな過渡期の『ハザマ』の部分にしっかりと挟まれてしまったからである。自分は必要とされていないと思ったこともあったし、辞めますと言ってやったら演出家はどんな顔をするだろうかと、本番2ヶ月前に考えたこともあった。

 でも、結局本番の舞台に立った。『辞めます』というセリフは、言わずじまいになった。

 本番初日の前日に行うリハーサルは、ゲネと言って本番と全く同じようにやる。そのゲネの前、演出家がカーテンコールの指示を出した。普通ミュージカルのカーテンコールは、重要な役回りの人ほど最後に出てくるようになっている。正直、出番にしたら3曲しかない私はあまり気にも留めずに演出の指示を聞いていた。JesusとJudasが当然最後に出る。その前はMary(マグダラのマリア)。と、演出家はマリアの前に私を出すと言った。正直、驚いた。そんなに遅く回ってくるとは思わなかったから。でも演出家は、『Pilateはここで出すから』とはっきりと言った。

 嬉しかった。初めてここに来て、一番認めてもらいたい人に認めてもらえた気がした。
『カーテンコールの順番くらいで』と思われるかもしれないけど、そこで『辞めなくてよかったなぁ』とぼんやり思った気がする。

 そして本番、中日、舞台に出た私は一瞬ひるんだ。舞台から見える薄暗がりの客席は全部埋まっていて、立ち見まで出ている。そんなのは初めてのことだったので『これはえらいこった』と思った。その全ての人の目が舞台に一人で立っている私に注がれていた。
刺さっている、と感じた。
立ちくらみがするほどの快感だった。

 そしてカーテンコールが始まり、私は上手の袖でずっと待っていた。ずっと一緒に頑張ってきた役者仲間が浴びている拍手が、パネル越しに聞こえてくる。拍手はどんどん大きくなる。私の心臓もどきどきしてくる。
キューが来る。
明るく照らされたリノリウムの上に一歩踏み出すと、拍手が大きくなるのを感じた。
空気が熱かった。
初めて明るい客席が見えた。たくさんの顔と拍手が見えた。
誰も何も言わないけど、舞台の上は満足感に満ちていた。
お辞儀をして、『ああ、なんて楽しかったんだろう』と思った。
このまま頭の上にライトが落ちてきてもいいと思った。
そして後にも先にも、これが私の心に残る一番のカーテンコールだった。

 大学を辞め、芝居を辞め、会社を辞め、今ここにいる私。
残念ながらあの時ほどの笑顔をしていないと思う。あの時ほどの笑顔を見ていないと思う。


もう一度あそこで生きてみたい。
あそこで生き、あそこで死んでみたい。
by たまきち | by tamakichy | 2004-10-15 19:15 | 演劇・映画・ドラマ
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